何処からか聞こえてきた歌声に洗い物の手が止まる。空気に溶け込み広がっていく声。慈しみと愛おしさをのせた旋律。聞き慣れた音楽は間違えることはない。コノエの歌だ。
しばしその歌声に聞き入る。全ての賛牙が歌が上手なわけではない、と聞いている。ならば彼のこれは生まれ持ったものなのだろうか。
(まぁ何でもいいけど……。あぁーいいなぁ。うた、聞いてたいなぁ……)
以前、歌を聞きたいとせがんだ時には思いっきり渋られてしまった。
コノエは謙遜しすぎる、とは思う。アサトと一緒にいるから余計にそうなるのかもしれない、とも思うが。
(ちょうどバランスがいいってことかな)
思わず微笑みがもれる。この洗い物をさっさと済ましてコノエを探そう。きっとあの猫は顔を赤らめて目を逸らすのだろう。その様子が安易に浮かんできて楽しくなった。


(終わった!)
昂ぶる気持ちを抑えて最後の皿を拭き終える。厨房を出てよく耳を澄ましてみると歌声は宿の屋根から聞こえてきた。途中で休みながら歌っていたらしい彼の歌はまだ途絶えていない。音を立てず息を潜めて窓へ近付く、その動作にさえ心躍った。
この頭上で彼が歌っている。遮るものがないこの場所では彼の歌声が肌に直接感じられる。
(別に此処に聞いていてもいいんだけど、きっと、バレないし)
けれど心の中の何かが疼いている。好奇心か、悪戯心か、それとも別の何かか。コノエの反応が見たい。けれど歌を途切れさせてしまうのは惜しい。
(ああああでも! だけど! やっぱりコノエを見たい……!)
(もう1回ちゃんとコノエに言おう! “歌を聞きたい”って!)
決意を固めて深呼吸。
音を立てずに窓に近付き近くの木に跳躍。木を蹴った勢いでそのまま屋根に着地する。この動作も繰り返していく内に慣れていった。屋根の上で過ごすのは好きだから。


「わっ、……!」
屋根の上にいたのは案の定コノエだった。突然現れたに驚いたコノエが今まで纏っていた歌が風に掠われていく。
はと言うと、彼の隣にもう一匹いるのを見つけて目を丸くしていた。
「アサト」
コノエやより一回り以上大きい、小型種の筈の大きな黒猫。彼はコノエの傍でその大きな身体を丸めて眠っていた。
(だからコノエは歌ってたのか)
あんなにも優しいメロディーはその所為だ。
「羨ましいな、アサト」
「へ?」
「コノエの歌を独り占め、ってさ」
「はぁ?」
羨ましい、そう思いはするけれどそれよりも温かくなる気持ちの方が強い。何か言いたげなコノエがほんのり頬を染めながら此方を見ている。聞き取れるか聞き取れないかの声で「別に……」とふて腐れた声が聞こえた。それに気づかない振りをして言葉を続ける。
「もう歌わないの?」
勿論すんなりと歌ってくれるとは思っていなかった。コノエはやはり眉を寄せて「なんで」と抑揚無く言った。素直な反応だ。だから自分も茶化すことなく真面目に返した。
「やっぱり私、コノエの歌聞きたいんだ。凄く好きだから」
「…………」
今度こそコノエは言葉に詰まってしまった。緋色の瞳が彷徨うようにゆらゆらと揺れている。完全に困っているコノエが可哀想に思えてきた。
「……別に、無理はしなくていいんだけど、ね」
恥ずかしいという気持ちが分からなくもない以上、無理強いもしたくない。それでもやはり落胆の気持ちは広がって、その事を知られたくなくて部屋に戻ろうと思った。
立ち上がろうとしたらコノエが慌てた声を上げる。
「ちょっと待てよ」
「ん?」
「違う、
「……と、いいますと?」
もう一度深く座り直して言葉に耳を傾ける。大きく深呼吸してからコノエは真っ直ぐに此方を見た。その真剣な表情に口が開けなくなる。
は、俺の歌なんかでいいのか……?」
「はぁ?」
そう、真剣で必死さを滲ませた声で今更な事を言うので思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
(何言ってんだよいつもそうやって言ってたじゃんかコノエの歌が聞きたいってなんで今更そんな事確認されなきゃいけないんだ! そんなに自信なさげになんて言うなよコノエ私よりぜっったい歌上手なのに!!)
頭が熱を持ってフル回転する。辛うじてマシンガントークは抑えたが本当は喚き散らしたかった。
此方も気持ちを落ち着ける為に深呼吸をする。そして一文字ずつ強調してやった。
「と、う、ぜ、ん」
「そ……そうか……」
威圧的な声と視線にコノエの顔が引き攣った。けれど今まで焦らされた身として少しは困らせてやりたい。
「な、ら! コノエは私にも歌ってくれるんだね!?」
がいいなら……」
「だから全然いいってコノエ謙遜しすぎ! ……あ、今日はいいから。アサトもいるし!」
「?」
の言葉の意図が分からないらしい、薄茶色の鉤尻尾がふらふらと揺れている。にんまりと笑みを浮かべる。我ながら嫌な笑みだと思った。
反射的に眉を顰めたコノエに一言。
「今日は存分に大好きなつがいの為に歌ってあげてくださーい!」
コノエの反応は見ずに逃げ出す様に屋根から飛び降りる。
照れている筈だ。想像に難くない。着地して大きく伸びをして歩き出す。
まだ高揚感は続いていた。





きみたを
きかせて









 

2007/09/07

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