放課後一緒に勉強をしようと誘ったのは今日の朝。二人で向かい合って勉強し始めたのが一時間半前。啓が何か飲み物を買ってくると言って教室を出ていったのは数分前のこと。
「華南さーん、カフェオレ飲めますか?」
「えっ。……私の分は良かったのに」
「でも寒そうじゃないですか。はいどうぞ」
「あっ、ありがとう」
机の上に二本の缶を立てて啓も席に着いた。
華南が缶を手に取ると熱がじんわりと手のひらに伝わってくる。寒さにかたまっていた指がぴりぴりと痺れる感覚。
段々指の感触も戻ってきたところで思い出す。
「啓ちゃん、さっきの問題できたよ」
「ホントですか?!」
缶を開けようとしていた啓が目を輝かせた。
「ほらコレ」
差し出されたノートをまじまじと見つめた後、啓から思わず溜息が漏れる。
「こうすれば良かったんだぁ……もう。ありがとうございます」
「いえいえ。また私も聞くかもしれないけどそのときは宜しくね」
「私で良ければ」
そんな会話を交わして、またそれぞれの課題に取り掛かる。
しかしそれも長く続かなかった。
「ほどほどにしておけよー」
びくり、と二人の肩が大きく揺れる。
突然かかった廊下からの声。ただ華南にとってはそういった理由だけではなかったが。
「ディランディ先生……」
教室の入口に立っているのはニール・ディランディ。三年の一部のクラスで数学を受け持っている教師だった。
彼はそこから去るでもなく、二人のいるところまでやって来ると遠慮なく机の上を覗いた。
目の前の華南の雰囲気が変わったのを感じながら、啓は気付いていない振りをして「勉強を教えてもらってるんです」と答えた。
「なんだ草野、数学だったら俺に聞きに来いよ」
「行ける訳ないですよ。三年担任に一年が聞きに行くなんて」
「聞きやすい先生に聞くのが一番だろう」
「自分で言いますか」
啓とニールがテンポよく会話を繋いでいく中、華南はじっと自分が書いたノートに視線を降ろしている。
「そういえばハレルヤが草野のこと探してたぞ?」
「はっ? あっ、いえ……なんで」
「何か約束してたんじゃないのか?」
「してないと思うんですけど……」
そう言いながら携帯を開いた啓は次の瞬間に脱力した。「馬鹿だ……」と机に俯せた彼女からくぐもった声が聞こえる。
「なんだった?」
「『部活がないなら一緒に帰るぞ』って……三十分前にメールが。……ちょっと一年の棟に行ってきます。華南さん」
「……えっ?」
そこで漸く華南は顔をあげる。きょとんとした表情が彼女を幼く見せた。
「すぐに帰ってくるのでまたノート写させてもらっていいですか?」
「あ、うん」
「じゃあちょっと行ってきます!」
言い終わる前に立ち上がって教室を出ていく姿を華南は止めることが出来なかった。
廊下を走る音がどんどん遠ざかっていくのをぼんやりと聞いているとニールが「廊下を走るなっての」と苦笑する。
そのときになって教室に二人きりで取り残されたことをリアルに感じ、華南の心臓が五月蝿いほど暴れ出した。
再びその視線はノートに落ちる。
しかし白いノートに綺麗な指がそっと乗せられたとき、思わずその手の先を追ってしまった。
それが誰のものであるかなど、分からない筈がないのに。
「……なに」
「これ、一年の問題だろ?」
「啓ちゃんが分からないから、私がやってみたんだ……」
「教えてあげてたんだ?」
教えてあげてただなんて図々しい、困ったときはお互い様だもん、一年生の数学くらい出来るよ、可愛い後輩だから。
続く言葉はいくらでもあった筈なのに、それらが上手く舌に乗ってくれない。
どもるのは恥ずかしいと思ったから唇を噛み締めた。
彼の綺麗な指がノートから離れる。
「お利口さんだなぁ、カナンは」
頭を撫でられる感触がくすぐったくて、恥ずかしい気持ちになったけれど振り払うことも出来なかった。
その時間が長かったのか短かったのかは分からない。
ただ熱かった筈のカフェオレが丁度良いほど冷めていたのは覚えている。





うるさいのはキミのせい 





 

 

 

 

 

 

 

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